ぶらりらいぶらり:長崎大学図書館ブログ

長崎大学附属図書館からお届けするブログです。 ぶらり、ぶらりと図書館へどうぞ。

【連載第15回】フクロウ館長イチ推しの本

三木清人生論ノート : 孤独は知性である』

岸見一郎著 (NHK出版, 2021.4)

自分の居場所は、「ここではないんじゃないか?」 小学校入学式の日、教室でそう思ったことを覚えている。周りの新1年生達は、大声を出しはしゃいでいたが、僕は島から引っ越して来て、ランドセルが間に合わず、風呂敷きに筆箱を包み教室の端に座っていた。

 

教室には二人掛けの木の机が並び、一番前の席の廊下側に僕は座らされていた。着物姿で行きかうソワソワした母親たちを見ていた。隣には、おかっぱ頭の女の子が胸に大きなリボンをつけて頭をくるくる回していた。先生が入ってきて、最初に僕の名前を読んだ。

「はい!」

と右手を挙げて答えた。一斉に他所から来た自分への視線を浴びた。ひとり風呂敷きを持つ自分が人と違うのが悲しいとも思わなかったが、ここじゃないんじゃないか?との、意識が芽生えたのを思えている。もちろん、その後、小さな町のひと学年90名の学校にはすぐに慣れた。50年経った今でも、その何人かとはよく会い酒を飲み、5年に1度の同窓会にはだいたい出ている。

 

小学校を卒業し、中学で「孤独」という漢字を習い、二度転校した。

「ここではないんじゃないか?」という気持ちは、「孤独」という意味なのではないかと思うようになった。中学、高校とサッカー、ラグビーと団体スポーツをやっていたから、常に男友達とワイワイ騒いでいたのだが、「孤独」という意識はあった。中学校3年の時に、サッカー部の友達と喫茶店かなにかの店に入り、その店にあった客が自由に書き散らすノートに、「孤独な人は連絡ください」と書いた。

 

思春期の頃は誰でもそう思うのかもしれない。

自分をわかってもらいたい、自分と同じような人に会いたい、と思い、仲間とつるみ、誰かを好きになるのかもしれない。そんな時、高校1・2年生だったと思うが、三木清の『人生論ノート』を読んだ。理由は、宿題か試験に出るからという理由だった。読後の感想などは覚えてないが、難しいことをわかりやすく伝えようとしている、という印象が残った。

 

時が経ち、常に集団の中で仕事をして、普通に家族も持ったが、「孤独」という意識は消えず、だんだんと馴染んできたのか、「孤独」も悪くないと思うようになった。むしろ、自分は「孤独」を望んでいることもわかってきた。

 

さらに時が経ち、僕は図書館長になり、経済学部の新しい図書館を視察することになった。新しい図書館の中には、古い本を集めた書庫があり、薄暗い中を案内してもらった。暗闇に木々が立つ森のように、本棚が並んでいた。

「電気つけますね」

司書さんの声と共に、本の背表紙が浮かび上がった。

「古くは、江戸時代くらいのものからあります」

背表紙の漢字やローマ字は難解で、ほとんどが読めなかった。中には、鎖国時代に持ち込まれたものもあるという。司書さんの説明に感心しながら、下の階に行くと、僕でも読めるような比較的新しい本が並んでいた。

僕は思わず「おー」と、声をあげて一冊の本を手に取った。

三木清の『人生論ノート』。

 

初版本だったかどうか忘れたが、かなり日に焼けて茶色くなったページには、あちこち線が引いてあった。戦前、1940年代に出版された本だから、昔の漢字や仮名が並んでいたが、読めるには読める。ページの隙間に、万年筆の青いインクが滲んだ文字があった。

「青春は、孤独だ」

 

本書は、NHKの番組『100分de名著』の番組解説本である。

この番組は面白い。

NHK「100分de名著」Webページ

https://www.nhk.jp/p/meicho/ts/XZGWLG117Y/

 

1冊の本を3回にわたり解説するのだが、タレントの伊集院光さんが専門家へ質問するという形式だ。それを本にまとめているので、一般の人にわかりやすい。僕もこの本で初めて、三木清が哲学者であり、ベストセラー作家ということを知った。戦争に反対し、非業の死を遂げたことも知った。1ページ目に「今、再読する意味」とある。確かに、今、そうだ。いくつかの文を紹介する。

 

「孤独は山になく、街にある。一人の人間にあるのでなく、大勢の人間の「間」にあるのである。孤独は「間」にあるものとして空間の如きものである」

「我々が孤独を超えることができるのは、その呼びかけに応える自己の表現活動においてのほかない」

 

なるほど。僕が文章を書くのは、孤独を超える自己表現活動なのだろうか。そう思えば、孤独も悪くはない。ホ~ホッホ~。フクロウもきっと孤独を愛している。

 

 

▼所蔵情報

opac.lb.nagasaki-u.ac.jp

 

【黒にゃんこ司書のつぶやき】

こんにゃちは!黒にゃんこ司書です。「文章を書くことは孤独を超える自己表現」の一文、なるほど確かに、TwitterなどのSNSはまさにその側面が強いかもしれません(「孤独を超える」なんてカッコいいものじゃなく、単なる暇つぶしかもしれませんが)。みなさんにとって「孤独と向き合う、乗り越える術」は何ですか? 私の場合は、ネットフリックスでアニメ『進撃の巨人』を1話から見返すこと (記憶を消して再トライ中)。それじゃまたにゃ~♪