
【前回までのあらすじ】
内科医の「僕」は大学図書館長を命じられ、経費削減のためフロント業務の委託契約を見直そうと動くが、司書の「赤毛の杏ちゃん」と対立。そこで、図書館全職員を集め、説得しようとするが・・・(フィクションです)。
話し合いが行われる日、図書館は休館であった。初夏に行われる定期テストが終わり、学生のいないキャンパスはがらんとしていた。僕は少し緊張し、図書館の裏口のドアを開け、地下の会議室へ向かった。(1時間も早く着いてしまった…。司書さん達に説得する資料の再チェックでもするか)とつぶやきながら、ドアを開けた。
えっ、何だ、これは。
僕はドアノブを握ったまま立ちすくんだ。
10名の司書が横一列に並び、作業をしている。手には赤く染まった大きな筆を持ち、左に右にと動かす。それぞれの机の上には、大きなそれもかなり古い辞書のような本が置いてある。入口に近くで作業している赤い髪を三つ編みにした杏ちゃんこと柴田杏が、僕に気づいて顔をあげた。
「あら館長、ずいぶんと早いお出まし」
彼女の白いエプロンには、鮮やかな赤の斑点が散っていた。機嫌は良いみたいだ。司書歴三十余年の彼女の声は弾んでいた。
「古い本の修理作業をしているんですよ」
本の上にできた赤い粉を指して言った。
「これはレッドロットです」
今日の話し合いは杏ちゃんの機嫌次第、と思っていた僕は、媚びるような笑顔で返した。
「ホ~、かなり古い本みたいね」
「はい。この本は、1778年にフランスで出版された本なんですが、革の表紙がボロボロになり、劣化して赤い粉の粒が出るんですね。それを『レッドロット』と言うんですけど、それに特殊な液体を塗って、粉を革に固着させるんです」
杏ちゃんは小瓶に筆をつけ、液をからめてから丁寧に塗ってゆく。1778年にフランスで生まれた大きな本が、どんな経緯をたどってこの西の街の図書館に辿り着いたのかは知らないが、長い長い旅でボロボロになった身体を杏ちゃんからなでてもらっている。(お疲れ様。よくここまで来たね。頑張ったね)そんなつぶやきを発するかのように、他の9人の司書たちも、古い貴重な本に対して敬意を抱きながら筆を動かしていた。

「この液を使い切るために、いつも皆で一斉にやっているんですよ。この液は…」
HPC(ヒドロキシプロピルセルロース)で、医薬品錠剤の結合剤等の成分が入っている。これを無水アルコールで溶かして革に塗ることにより、含まれるセルロースの成分が接着剤となっている。
「つまり、表紙の革の劣化防止ですね」
「ホ~ホ~、なるほどね~。ホ~、司書さんは本の修理もしてるんだね。知らなかったよ」
「大学図書館は貴重な資料を保存して、後世に残すという使命もあるんですよ。バックヤードにはバックヤードの重要な役割があるんです」
「ホホゥ~、なんか、杏ちゃんたち司書さんは、図書館の森の番人みたいだね。森の奥で密かに森を守る仕事をしている。ホッホホ~、感心、感心」
僕がそう言いながら、司書さんたちに声をかけながら部屋を回っていると、杏ちゃん赤い筆を回しながら、
「ホ~、ホホゥ~、ってさっきから、それは館長の癖ですか? フクロウみたいですね」
と言うと、誰かが反応した。
「そうだ、先生は『フクロウ館長』!」
一瞬、皆の筆が止まった。そして少しのざわめきと拍手が起こり、番人達が口々にフクロウ館長の言葉を口にした。僕は照れ笑いをしながら、
「ホッホホ~、フクロウ館長か、悪くない」
と親指を上げた。どうやら僕は森の番人達に取り込まれたようだ(苦笑)。
(この物語はフィクションです。つづく)
【フクロウ館長おすすめ本】

一気飲みは厳禁だが、一気読みは推奨です(笑)。この本を手に取って読みだすのは、夜の方がいい。明日の予定は何もなく、寝坊できることを確認し、スマホは切って、ラインを遮断した方がいい。ドアのカギを確認して、手元の灯りだけにして、布団の中に入り、おもむろにページを開く。………。きっと、あなたは眠れない。ホッホホ~。
【黒にゃんこ司書のつぶやき】
こんにゃちは、黒にゃんこ司書です。話し合いの成否を分けるキーパーソン・杏さんのご機嫌を伺う館長の策士ぶりがうかがえる回でした。こういう人心掌握術ってどうやって身につけるんですかね。上司のふるまいを見て自然と身につくのか、『デキる上司』みたいなビジネス書読んでるのか、研修でも受けてるのか・・・。今度館長に聞いてみよ~っと。次回、司書で知らなかったらモグリな「あの人」についての話題です。それじゃ、またにゃ~♪