『ミス・サンシャイン』吉田修一著 (文藝春秋, 2022.1)
8月9日を思い出す。
僕の祖父・濵田松之助は大正元年生まれで、第二次世界大戦の末期、昭和18年に召集された。当時31歳。妻と男の子3人、女の子2人の家族6人を佐世保に残し、長崎市へ向かった。
2年後、昭和20年には、二等兵から兵曹となり18人の高射砲隊の一員として、稲佐山に駐屯していた。敵の戦闘機を狙っていたのだ。
「何機かは、撃ち落としたけどね、グラマン(戦闘機)は撃ち落とせんかった」
と、松之助は後に長男(僕の父)へ語っている。8月9日も、彼は稲佐山にいた。11時2分、突き刺すような光を感じた瞬間に近くの防空壕へ飛び込んだ。戦後、しばらくして「自分は運がよかった。でも、部隊の半分が即死。残り半分も、精神錯乱や病気で死んだ」とつぶやいたそうだが、詳細は決して話さないまま50歳の若さで、車を運転中に突然死んだ。医者の僕が想像するに、状況から心筋梗塞か脳卒中だったのではないかと思われる。もちろん、原爆の影響がどこまであったのかは今となっては分からないのだが。
亡くなったのは、僕の初節句を祝った1カ月後だったそうである。ほほ笑みながら、僕を抱いた写真が1枚残っている。それから半世紀の時が流れ、80を超えた長男(僕の父)は、松之助を被爆者名簿に掲載してもらえないかと役所に相談したそうだ。気持ちはなんとなく分かる。結果は、なかなか難しいとのことだった。恐らく、松之助のような記録されない被爆者はたくさんいるに違いない。
今回紹介するのは、長崎市出身の芥川賞作家・吉田修一さんの『ミス・サンシャイン』。僕はこの本を読んだ時、なぜか、全く覚えていない祖父のことを感じた。恐らく主人公が長崎出身で、原爆症の親友や長崎大学病院を描いた場面があるからだろう。この本はエンターテインメント風に仕上げてあるが、名もなき被爆者を描いたドラマだ。長崎市出身の吉田修一にしか書けない「原爆文学」の流れの中にある傑作ではないか、と読後勝手に感動していた。
先月、『ミス・サンシャイン』がなんと、島清恋愛文学賞を受賞した。え~、これって恋愛文学!?と、思わず僕は絶句した。著者ご本人も「恋愛小説として書いたわけではなかったが、人間を書くと必ず恋愛の部分が出てくる。歴代受賞者を見てもかなりユニークな賞であり、頂けるのは本当に光栄だ」と、戸惑いと驚きのコメントを出していた。
いずれにしろ、この本が脚光を浴びて僕はうれしい。女優の吉永小百合さんが本の帯文を書いている。
「作者の故郷への思いを私は今、しっかりと受け止めたいです」
もしかすると、どんな形でも、1945年の8月9日を思い出すことが重要だとの思いで、吉田さんはこの本を書いたのかもしれない。
もうすぐあの日が巡ってくる。僕は、今年もサイレンの音を聞きながら、祖父がいた稲佐山に向かって手を合わせる。
※以上は2023年7月23日掲載の長崎新聞記事を再編集したものです。
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【黒にゃんこ司書のつぶやき】
こんにゃちは。黒にゃんこ司書です。私も吉田修一さんの著作はチェックしていて、『ミス・サンシャイン』は発売された昨年やはり書店で見かけて、その時はなぜか「まだ読む時期ではない」と思い、密かに読み時を待っていた本です。今回館長の書評を読んで、書店に走りたい気持ちになりました。みなさんも今年の夏は「この本を読んだ!」というものを、図書館で一冊見つけてみてはいかがでしょう。それじゃ、またにゃ~♪