ぶらりらいぶらり:長崎大学図書館ブログ

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【連載第64回】フクロウ館長イチ推しの本

『実力も運のうち : 能力主義は正義か?』

マイケル・サンデル著 ; 鬼澤忍訳 早川書房, 2021.4

 「トランプのせいで、相場が急落して、ウン百万損した」

 

と僕の友人Tは嘆く。

彼はトランプ関税について激しく非難し、スマホの株のチャートを恨めしく眺めて、カウンターの向こうでビールを飲んでいた。株に興味のない僕は、ハイボールを飲みながら「関税はトランプ支持者のためじゃないの?」と適当なことを言い、「しかし、アメリカはなんで国が「分断」して、憎しみ合うのだろうか? その原因は何だろう」と独りごとを言うと、Tが反応した。

 

「おまえは大学の教授のくせに、そんなことも知らないのか?」

 

あきれた顔で商学部出身の彼は、スマホで本を探していた。自称・投資家のTから勧められた本が、今月皆さんに紹介する本である。2021年に出版され、話題となり昨年文庫化されている。

 

「なるほど、そういうことか!」と、僕は何度も頷いた。理系の僕たちでも理解しやすい論理的な本だった。さらに、米国で起こった「分断」が、日本でも起こり得ると感じさせる。否、もう既に身近なところで「分断」は起っているのかもしれない。

 

 

能力主義の闇>能力主義が不平等を固定し、貧困の連鎖が存在する米国

 

米国の分断の原因は、2000年代から急速に進んだ偏重な能力主義に基づいた歪んだ学歴社会であると、本書は分析している。能力がある者が良い大学を出て、良い仕事につき、良い給与をもらう。当たり前のことのようだが、米国は極端に行き過ぎている現状がある。

 

例えば、ハーバード大学の学生の3分の2は、所得規模で上位5分の1にある家庭の子だ。要するに、金持ちしか有名大学に行けない構造が米国にはあると、本書では詳細なデータで裏付けされている。

 

SAT(大学適正試験)で87.5%以上の高得点グループは高所得者家庭で、貧しい家庭(年収2万ドル≒300万円以下)の子が高得点を取る確率は、50分の1である。能力主義が不平等を固定し、貧困の連鎖が存在する米国。オバマ大統領は、「You can do it」とスローガンを掲げたが、実は低所得者アメリカンドリームを達成するのは、確率的には不可能に近く、生活することさえ困難な状況が続いている。

 

人種や性別、出自によらず能力の高い者が成功を手にできる「平等」な世界を理想としてきた2000年代からの民主党政権は、グローバル化が起こることにより、「能力主義」のエリート達を傲慢にさせた。つまり、インターネットを代表とするテクノロジーによるグローバル化で、まじめにコツコツと働いて地道にアメリカを守ってきた農業や製造業の人々は取り残された。そして、ヒラリー・クリントンは、トランプを支持した大学へ進学しなかったブルーカラーの白人を「みじめ」と言い放ち、人々の怒りを買い、2016年の大統領選挙で落選した。学歴のない「敗者」との間に、未曾有の分断を引き起こした。

 

これは、能力がない者、「弱者」の命は軽い…という医療倫理の根幹に迫る問題でもあるのだ。ここまでは、皆さんがテレビやネットで聞いた情報と同じであるかもしれないが、本書ではかなり詳細なデータで理論的に述べていることが非常に理解しやすかった。さすが、サンデル教授の本である。

 

 

マイケル・サンデルの白熱教室

 

ハーバード大学マイケル・サンデル教授は、政治哲学・倫理学者であるが、日本では2010年放映のNHKのテレビ番組「白熱教室」で有名になった。講義では例題や実例を提示しつつ、学生に難題を投げかけ議論を引き出し、自身の理論を展開する。

 

第1回の講義は「殺人に正義はあるか」、第2回「『富』は誰のもの?」、第3回「この土地は誰のもの?」、第4回「お金で買えるもの 買えないもの」等の講義が続いた。刺激的な講義であり、教員の僕としてはこの番組で授業の進め方を学んだ。著書『これからの「正義」の話をしよう』(早川書房)は、累計90万部を売り上げ、僕も手に取り、正義について考えた覚えがある。

 

 

実力も運のうち ×運も実力のうち

 

東京大学に合格する学生の家庭は非常に裕福である、という報道やデータはいくつか示されている。これは、ハーバードで起こっている分断と似た現象かもしれない。

 

身近な例もある。例えば、図書館に来る人たちは、ほとんどが大学生である。本書では、大学に行けるということは「運が良い」と規定している。勉強できる家庭環境があり、大学に行ける経済力がなければ、大学へは行くことができない。サンデル教授風に言えば、「運」を持っていることになる。思いきり勉強できる環境にあった。塾に行けた。運で大学へ行けたという理論にも一理あると思う。

 

 

こども塾は子どもたちに「運」を与える場か

 

話は飛ぶが、僕は2024年からこども塾を開催している。医学部を目指す進学塾とは真逆の、塾に行く経済的余裕のない就学支援を受けている家庭のお子さんを対象にした、補習塾である。ある病院から資金支援を受けて、大学生の有償ボランティアを集めて、大学の図書館で、週に1回開催している。僕の役割は、たまにお菓子の差し入れを持っていくだけなのだが、時々質問される。

 

「先生、どうして、2分の1と3分の1が足せるの?」

「えっと~~、どこから説明しようかなあ~」

「先生、江戸時代って、昭和の前?」

「う~~ん、だいぶ前なんだけどね・・・」

 

などと楽しくやっている。この塾の目的としては、将来医療者になってほしいということで、時々メディカルスタッフの話を聞いてもらっているのだが、その時の子どもたちの目の輝きは美しい。うれしいことに、今年志望高校に合格した子がいた。その保護者から「この塾を知ってとても運がよかったです。良い機会を与えていただきありがとうございました」という内容のLINEが届いた。もしかすると、「運」がよかった僕の仕事は、子どもたちに「運」を与えることかもしれない、と思った。サンデル教授が言うように、運がよかった人々が、奢り(おごり)高ぶることは、憎しみを産み社会を分断させる。この本を読むと、運が良い部類に入ると思われる人たちは、大学に進学している人を表している。そういう人たちは、決して奢ることのないように、自戒しなければならないと感じさせてくれる。

 

 

分断しないように…、「適格者のくじ引き」もあり?

 

サンデル教授は、たぶん、とても良い人だと思う。

彼は、米国が、あるいは世界が、分断することを嫌っている。それは僕も同じだ。じゃあ、分断しないためにどうすれば良いかという具体的な方法もいくつか示している。例えば、有名大学の入試をくじ引きでやる「適格者のくじ引き」の理論は、奇想天外だが読むと納得する。

 

最終的に彼は、「共通善」の概念を示している。個人主義でなく、皆が幸せに感じる社会を共同体全体で目指していくという考え方のようだ。その実現は、米国では難しいのではないかと感じる。どちらかというと、儒教仏教文化がベースにある日本に合っている考え方ではないかと思った。

 

さて、冒頭に戻ると、自称投資家の友人Tは、長崎・思案橋に小さな立ち飲み屋を経営している。昭和レトロの狭くて綺麗とは言えない店だ。僕たちはその場末の店で、本書について語っていた。カウンターの向こうでTは、冗談なのか本気なのか分からないトーンで話している。だいぶ酔っているなあ~。饒舌である。

 

「つまりな、この店が、俺にとっての共通善なのよ。金持ちも貧乏人も、飲めば同じ人間。つまりな、日本を分断させないように俺は頑張っているわけよ。お前も、大学の先生なんだから、分断させないように共通善を目指すべきだ。つまりな、それが、運が良いものの役割ってわけよ。分かる? つまり、教授先生、分かる~~~?」

「うん、うん、運だな。分かった、分かった……」

 

ちょうどお客さんが入ってきたので、ここぞとばかりに僕はカウンターに千円札を2枚置いて、じゃあ、と店を出た。ネオンの向こうに夜空が見える。明日は雨の予想だったはずだ。でも、晴れそうだ。きっと、明日も運がいい…。遠くで路面電車の音がして、僕は急いで電停へと向かった。ホ~ホッホホ、次回をお楽しみに。

 

(本稿は2025年6月に医療従事者専用サイト「m3」に掲載された記事を再編集して掲載しております)

 

 

▼所蔵情報

実力も運のうち : 能力主義は正義か? / マイケル・サンデル著 ; 鬼澤忍訳

請求記号:361.8||Sa62, 図書ID:1616794

https://opac.lb.nagasaki-u.ac.jp/opac/volume/948367

 

これまでの書評はこちらから読むことができます。

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【黒にゃんこ司書のつぶやき】

こんにゃちは、黒にゃんこ司書です。サンデル先生なつかしい!今から10年ほど前、よくNHKの「ハーバード白熱教室」見てましたね。学生のみなさんはあまり馴染みがないかもしれませんが、自分に引き寄せた問題として哲学する番組、といえるでしょうか。サンデル先生の問いは簡潔で明快です。図書館には著書をいくつか所蔵していますので、気になったらものから手に取ってみてはいかがでしょう。それじゃ、またにゃ~♪

長崎大学附属図書館OPAC