『そして、ぼくは旅に出た。: はじまりの森ノースウッズ』
大竹英洋著(文春文庫, 2022年)
僕は、極寒のカナダでカヌーを漕いだ経験がある。20年程前の冬のことだが、僕はへき地医療を学ぶためにカナダのオンタリオ州ハリバートン村に1か月ほど滞在していた。その村の家庭医・カール先生に付いて回り、村唯一の診療所で外来や入院の患者さんを診たり、雪の中を往診に行ったりした。
僕にとっては、初めての外国生活、初めての雪国。村にとっても初めての日本人医師だったようだ。丸い眼鏡をかけて長い髭を蓄えたカール先生は、サービス精神旺盛で仕事以外でも僕にいろいろ経験をさせようとしてくれた。
往診途中の車の中で、
「カヌーを漕いでみるか?」
と聞いてきた。あたりは氷点下の銀世界。一本道の先に空の青を映した湖が見えた。
「もうすぐ湖は凍る。今がラストチャンス。漕ぐか?」
僕は曖昧に微笑んだ。Yes/Noをはっきりさせない日本人の典型だ。実は、怖かったのだ。こんな寒い日に…、転覆したら死ぬ? 勘弁してくれよ…。
「漕いだことがない!」
と訴えるように言うと、カール先生は白い髭を撫でながら微笑みつぶやいた。
「それじゃ、無いなら、経験して、有るにすればいい」
今日紹介する本も、カヌーを漕いで無いを有るに変えた冒険物語。著者の大竹英洋は、大学4年のある晩に「狼」が出てくる夢をみた。次の日、気になり図書館に行って狼について調べると、『ブラザー・ウルフ』という写真集と運命的に出会い、「自分は写真家になる!」と決意し、その写真集の著者の弟子になるために旅に出るという実話である。
旅、冒険、青春物語にふさわしく、アメリカとカナダの国境の森、ノースウッズに住む写真家ジムに、なぜかカヌーで会いに行くという無茶な行動に出る。様々な人の手助けがあり、笑いとほろ苦い涙と心温まる感動の結末が待っている。大竹氏はその後、ノースウッズをフィールドに、野生動物や人間と自然の関わりを撮影。多くの写真集を出し、2021年には写真界の直木賞とも呼ばれる「土門拳賞」を受賞し、夢を実現させた。本書は冒険当時の日記を元に淡々と綴られているのだが、自分も旅に出たい、一歩前に進みたいと思わせてくれる良い本だ。
さて、僕の冬の冒険に話を戻そう。初めてのカヌー体験は寒さと恐怖で体が動かず、楽しいという感じではなかったが、手が痛くなるほど一生懸命に漕いだ。
診療所へ帰ると、カール先生が「おまえは、よくやったよ」と、ホット・チョコレート(ココア)を作ってくれた。大きなマグカップの中から湯気が立っていた。僕はかじかんだ両手で抱えるように受け取った。暖かい温もりと、甘いチョコレートが全身にじわりとひろがっていった。無いが有るに変わってゆくのを僕は感じていた。
(※以上は2023年11月26日掲載の長崎新聞記事「この本読んでみた!」を再編集したものです)
【追伸】ホット・チョコレートは、カナダで最も有名な<ティムホートンズ>というチェーン店のカフェのものが最高でした。めちゃ安く、カナダ国内に3千店以上、カフェ全体の62%を占めて圧倒的な人気があります(ちなみに、スターバックスはわずか7%)。ドーナツとコーヒーは、カナダの文化にかかせないもの。日本のお茶とお饅頭みたいなものですかね~。ホ~ッホッホ~、次回をお楽しみに♪
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【黒にゃんこ司書のつぶやき】
こんにゃちは。黒にゃんこ司書です。凍てつく寒さの中、カナダの湖でビビりながら一心不乱にカヌーを漕ぐフクロウ館長の姿が目に浮かびます。カヌーって、自分の視点と水面が近いから、普通のボートより転覆した時の恐怖があるんですよね。旅に出たいけど、きっかけがなぁ・・・という方は、年末年始に本書を読んで、冒険心に火をつけてみてはいかがでしょう。それじゃまたにゃ~♪