ぶらりらいぶらり:長崎大学図書館ブログ

長崎大学附属図書館からお届けするブログです。 ぶらり、ぶらりと図書館へどうぞ。

講演会を行いました ~ラッコ・ラッフルズ・シーボルト~

現在 経済学部分館では、シーボルト来日200年を記念した
シーボルトゆかりの人物展」を開催中ですが、これに関連して、
9月14日(木)1階ラーニング・コモンズで、多文化社会学木村直樹先生をお迎えして、
講演会「ラッコ・ラッフルズシーボルト
―19世紀日蘭関係の転換点―」
を行いました。
当日は、あいにくのお天気にもかかわらず18名の参加者があり、
先生のお話に熱心に耳を傾けていらっしゃいました。

さて、今回のタイトル「ラッコ・ラッフルズシーボルト」とはいったい何でしょう。
ラッフルズは人の名前のようだけど、ラッコって誰…?

ラッコ…、実はこれだけは人名ではなく、動物のラッコのことです。
ラッコの毛皮は軽くて防水性に優れているため大変珍重され、18世紀には重要な
貿易品のひとつでした。
ラッフルズは、1810年代ごろイギリスの植民地行政官として活躍した人でした。
現在のシンガポールの設立者としても知られています。

18世紀は、ラッコの毛皮に象徴されるような希少価値の高い自然に由来する商品の
取引が中心で、ごく一部の特権的会社が貿易による利得を支配していた時代でした。
その後18世紀後半になると、イギリスで起こった産業革命により大量に生産された
工業製品を取引する時代へと移り変わっていきました。このころ、ラッフルズ
イギリス東インド会社(特権会社)の社員でありながら、その流れに乗って
自由貿易的政策を推し進め、イギリスの植民地を大きく発展させました。

しかし、そのころオランダはフランス革命の影響を受けた本国の政治的混乱なども
あって対日貿易は衰退し、オランダ東インド領の経営が困難になってきていました。
そこでオランダは、日本を総合的に学術調査し、本国や植民地の経済発展に
役立つものを探すために、医師であり、博物学者でもあったシーボルト
日本へ派遣したのでした。
また、その当時のヨーロッパからは「未知の領域」であった蝦夷地・樺太などの
北方地域の正確な地理情報を得ることも調査目的に含まれていたそうです。


木村先生は、当時の世界の動きのなかでシーボルトの来日がどのような意味をもっていたかを、
ラッコ(Sea Otter)、ラッフルズ(Sir Thomas Raffles)、シーボルト(Siebold)という
3つの「S」のキーワードにまとめてお話しくださいました。
長崎に住んでいると、子どもの頃から「シーボルト」という言葉はよく見聞きしますが、
「西洋医学を伝えたお医者様」や日本人女性たきとの「愛の物語」といったイメージしか
知らないままでいました。世界史的な観点から見たシーボルトの姿を知ることができ、
大変勉強になった講演会でした。

シーボルトの日本調査・研究の結果としてまとめられた著書『NIPPON』の第2版
(126年前の出版)は、「シーボルトゆかりの人物展」で展示しております。
お手に取って内容を見ることもできます。


シーボルトゆかりの人物展」は好評につき11月12日(日)まで期間を延長いたしました。
また、長崎歴史文化博物館でも9月30日(土)~11月12日(日)まで「大シーボルト展」が開催され、
当図書館の資料も展示されます。
歴史文化博物館の展示とあわせて、ぜひこの機会に貴重な資料をご覧ください。

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