ぶらりらいぶらり:長崎大学図書館ブログ

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こんなお札もありました :新札発行にちなんで#2

先週に引き続き、新札発行にちなんだ「お札」にまつわる展示についておつたえします。

経済分館入館ゲートを入るとすぐ目に入るこちらの展示コーナー。


『武藤文庫』(一部は個人蔵)のなかから、「お札」に関連した資料数点と、渋沢栄一氏から経済学部の前身である長崎高等商業学校時代に寄贈された図書を展示しています。

明治新政府になって全国共通の貨幣制度ができる以前にも「お札」はありました。発行者の違いによって「寺社札」「旗本札」「藩札」などと呼ばれます。


展示しているのは「藩札」です。「平戸会所」や「久留米札所」の文字があるのが見えますね。こうしたお札には「大黒天」「恵比寿」「弁財天」などの神様の絵柄や「打ち出の小槌」「麒麟」「蝶」など縁起が良いとされる絵柄がよく用いられたそうです。展示資料の「大黒天」は打ち出の小槌を片手に米俵を枕にして寝ているようです。なんともユーモラスな絵柄ですね。

また、もっと限定された地域で使われていたのがこちら。


「長崎唐館役所」とは「長崎唐人屋敷」内に置かれていた乙名会所のことで、ここを発行元として1750年ごろから発行され、唐人屋敷内で来舶唐船用や日用雑貨の支払いなどに使われていたとのことです。
紙幣の下の鏡に映っている面(実はこちらが表)には、「唐館通宝」の印が5つ押されてあり、「銭5文」の価値を示しているそうです。展示をごらんになるときはぜひ表側ものぞいてみてくださいね。

時代は進んで、こちらは明治37年発行の「軍票」です。


軍票とは軍隊が戦地や占領地での物資調達や労賃の支払いなどに用いた特殊通貨です。この軍票には「銀拾銭」の字が見えます。戦地での略奪などを防ぐために用いられていたとのことですが、平時になったのちこの軍票による対価はきちんと還元されていたのでしょうか?…気になるところです。

「お札」の展示の隣にあるのは、新1万円札の肖像画となった渋沢栄一氏の寄贈本です。
本学経済学部の前身、長崎高等商業学校時代(大正10年)に寄贈されたものです。


また、大正3年には長崎高等商業学校で渋沢栄一氏の講話が行われています。その時の記録によれば、「支那へ旅行に行く」途中に立ち寄られたとのことですが、渋沢栄一氏が長崎に来られたのはこのときが初めてではなく、明治10年、30年、33年にも来崎されていて、このときは実に4回目でした。
このときの講話の模様を伝える記事によれば、長崎だけでなく各地に商業学校が設立されるようになり、多くの若い学生たちが商業を学んでいることを大変喜んでいらっしゃる様子がうかがえます。経済界の発展だけでなく、商業教育にも力をいれてこられた渋沢氏のお人柄がしのばれるエピソードだなと思います。
さらに渋沢氏は「実業教育が進むにつれ注意しなければならぬのは知恵の方面の教育と同時に精神の方面の修養を怠つてはならぬと言ふこと」と述べられていて、先週のブログでご紹介した著書『論語と算盤』の教えを常に変わらず世に説いていらっしゃったことがわかります。
東洋日の出新聞(大正3年5月4日)と学友会雑誌16号に記載されたこの講話の内容はコピーを用意していますのでご自由にお持ちいただけます。


展示と合わせてぜひごらんください。

(先週のブログはこちら)

nulib.hatenablog.jp

 

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