こんにちは。経済学部分館スタッフです。
医学分館スタッフが書いた5/14のブログはお読みになりましたか?
https://nulib.hatenablog.jp/entry/2025/05/14/100000
かの有名な歌人・斎藤茂吉についてのブログでしたが、
書かれていたように、精神科医でもあった茂吉先生は、大正6年(1917年)から3年半の間、長崎大学医学部の前身である、長崎医学専門学校の教授として長崎に赴任しています。
その長崎時代、茂吉先生と親交を深めた人物の一人が、経済学部分館の長崎学展示資料室にあるお宝の持ち主だった武藤長蔵先生です!

武藤長蔵先生は、経済学部の前身・長崎高等商業学校の名物教授だったお方。
鉄道論、銀行論、経済学史などの講義を担当するほか、長崎に関する研究も多く、一大学教授が持っているとは思えない量の書物、それに加え絵画や陶器などの熱心な収集家でもありました。
武藤先生は茂吉先生の一歳上と年も近く、二人とも書物に深い関心があることなどから、親しくおつきあいしていたそうです。
武藤先生に関する文章を読むと、先生は学生たちの間で『愛すべき変わり者』として知られていたようですが、おそらく茂吉先生も、いい意味でクセが強めな先生だったのではないか?と私はにらんでいます。
二人の仲良しぶりがうかがえるのがこの写真、

左が茂吉先生、右が武藤先生です。
長崎市内の写真館で撮影されたこの写真の左には、茂吉先生から武藤先生に宛てた自筆の言葉が添えられています。

「長崎を去るにのぞみ、三年の間なにくれとなく面倒を見て頂いた武藤長蔵君と共に写真をとるのは、僕の感謝の念を記念せむがためである。
大正十年三月十四日 長崎を去らんとして
斎藤茂吉記す」
さすが歌人だけあって、これだけの文章なのに、武藤先生への感謝と愛情がぎゅっと凝縮されていますよね。いい友達だったんだろうなあ…
かしこまって写真に写っている二人の姿を見るたびに、キュンとしてしまいます。
このほかにも、長崎学資料展示室には、茂吉先生から武藤先生に宛てた手紙の封筒や


(差出人である茂吉先生の住所は「東中町」。東中町は、現在の長崎市上町のことで、桜町公園に近い場所です)
茂吉先生が長崎で医師の仕事の傍らにまとめた、歌集『あらたま』もあります。

茂吉先生から武藤先生に贈られたこの『あらたま』には、茂吉先生の自筆で
(前略)「大正十年一月十九日大浦露西亜教会ヘ参ッテ雨ニアヒシ日(貴君ト共ニ)」と書かれていて、これまた二人の仲良しぶりが垣間見えます。
経済学部分館では、この武藤先生の蔵書だった『あらたま』のほか、あと1冊、当時の『あらたま』を所蔵していますが、読了した学生たちが最後のページに次々とサインをしていて…。

当時の学生たちが、茂吉先生の短歌を楽しんだのだろうと思うと微笑ましいです。
ぜひ長崎学資料展示室で、二人の友情の足跡を直にご覧ください。

参考文献:
① 『長崎大学広報誌CHOHO』 Vol.3, p.1-5, 2003年4月
② 『あらたま』二版 斎藤茂吉著 大正十年一月 春陽堂
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