ぶらりらいぶらり:長崎大学図書館ブログ

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【連載第26回】フクロウ館長イチ推しの本

『永遠の1/2』佐藤正午著(小学館文庫, 2016.10)

ふたつの佐世保がある。

ひとつは、昭和一桁生まれの私の父が語る、戦前戦後の佐世保のイメージ。炭坑と軍港があり、朝鮮や中国へと頻繁に行き来する人々。戦争が終わり、闇市ができ、混乱の中、米軍基地で必死に働く少年(父)や重い荷物を背負い行商する明るい少女(叔母)の姿。

もうひとつは、昭和30年生まれの作家・佐藤正午が描くイメージ。競輪場、まっすぐなアーケード、その裏手のネオン街。平和な街で淡々と暮らす人々。

 

父の佐世保は、世界情勢に振り回された地方の街の中で、明日の食料さえ危うい人々の物語。暗く重いが、幼い僕に人生訓めいたことを与えた。

一方、佐藤正午が描く物語は、明るく、テンポよく軽くふわふわしている。鮮烈なデビュー作『永遠の1/2』の冒頭は、「失業したとたんにツキがまわってきた」。昭和58年の作品で、失業保険があり、食うには困らないという前提で物語が始まる。

 

ちょうどその頃、僕は医学部受験に失敗し、主人公と同様に宙ぶらりんの状況で、この本を手にした。物語の本筋ではない野球(長嶋や江川)や映画(スターウォーズ)や歌(吉田拓郎)の話が登場し、「知ってる、分かる」とニンマリした。作中に戦前戦後の佐世保の話もあり、それは僕の父の物語と重なった。この作品に人生訓や教唆を感じたわけではないが、それから彼の新刊が出ると、すぐに書店へ行くことになった。

 

平成になり、僕は佐世保の病院で働いた。佐藤正午の本を片手に、佐世保の夜の街に出たこともあった。偶然出会った時にサインをもらおうと本気で思っていたのだが、残念ながら、周りに彼を知る人は皆無だった。

さらに時が流れ、10年ほど前、ちょっとした事件が起こった。僕は佐世保での講演を終え、友人とふらりと飲みに行った。小さなスナックでカウンターに座ると、目の前の棚に『鳩の撃退法』が飾ってあった。

 

「おー!佐藤正午の新刊!」

僕は興奮し、指さした。

佐藤正午の知り合い?」

ママはニコリと笑って、「ボトルキープ入れる?」。

「もちろん!」

 

それから時々佐世保に仕事を作り、『鳩の~』の作中にも登場するママの店に寄った。そのつてで、サイン入りの『永遠の1/2』の単行本を頂いた。長年の夢が叶ったわけである(笑)。

しかし、コロナ禍。ママとは音信不通。行商をしていた叔母も亡くなり、僕の中のふたつの物語が薄れ、佐世保は遠い存在となった。

 

コロナ禍の続いた今年、医療応援で佐世保に行かせてもらう経験をした。帰りの車の中で、本書のページを再び開いた。車窓から見る佐世保の街と『永遠の1/2』が重なり、物語が再び動きだした。永遠に終わらない青春の物語がここにある。夕日を浴びる競輪場の脇を通り、車は高速道路に向かって走っていった。

 

(2022年11月27日 長崎新聞掲載)

 

【追伸】

「最も好きな小説家は?」と問われれば(問われたことはありませんが…)、間違いなく僕は「佐藤正午」と答えます。しかし、「どこがいいの?」と聞かれても、その答えは難しい。小説というのはあくまで個人的な体験だから、説明は難しいし、人に分かってもらおうとも思いません。だいたいの場合、「好き」には理由などないですからね。

この記事が新聞に掲載されると、佐世保の友人から、その店はどこだと問い合わせがあったので、教えました。ぜひ行って、今どうなっているのかを知らせて欲しいのですが…、まだ連絡はありません。

さて、この小説にも忘年会や新年会の話題がでてくるのですが、我々医療関係者はここ数年の年の暮れは、「今年は忘年会なかったけど、来年こそはフツーに飲みに行ける日がくればいいね…」という会話をしています。もう何回もそんな話をするので、永遠にそんな日は来ないのでないか…と不安にもなりますね。でも、『2023年、来年は絶対行ける』と断言して、今年のフクロウ館長の最後の言葉にしますね! ホ~ホホホッ、じゃあ皆さま、今年も読んで頂きありがとう! また来年! 良いお年を!

 

 

▼所蔵情報

opac.lb.nagasaki-u.ac.jp

 

【黒にゃんこ司書のつぶやき】

こんにゃちは。黒にゃんこ司書です。早いもので2022年も残りわずか、みなさん年末年始に読む本は決まりましたか? まだの方、ぜひフクロウ館長イチ推しの本を手に取っていただきたい!テレビやネットもいいですが、読書で得る時間もとても豊かなもの。中央館2F「フクロウ館長の本棚」を、ぜひチェックしてみてください。それでは、よいお年をお迎えください♪